株式会社プラスジャックは「助ける」をテーマに活動する、福井県鯖江市の小さなめがね工房です。
ものづくりのまちである鯖江。しかし安価な海外輸入品の増加や後継者不足により、転換期をむかえています。
環境に配慮しながら、自分たちのまちにあった規模で、次の世代へ引き継がれいくものづくりを続けていきたいというのが、プラスジャックの思いです。
製品には、綿花を主体とした植物性樹脂のセルロースアセテートを使用しており、これまで培ったアセテート材に関する加工の技術を活かし、 160 以上の工程を社内で一貫して製造をおこなっています。
めがねだけでなく、工場の技術を生かしたオリジナル製品の企画、開発、製造、販売にも挑戦しています。
Glasses
Space Elevator
COUJU
Champagne
軌道にのって宇宙にまで飛び出し
ていくようなデザイン。
親子がお揃いで、
安心してかけられるめがね。
細やかな部品合わせによる個性的な折りたたみフレーム。
General goods
effe
防災・防犯用の笛が、アクセサリーに。
meganepin
めがねホルダーになるピンバッチ。
BRISH
自然由来のアセテートの色が輝くナイフ。
Picture book
めがねづくりの工程が
楽しめる絵本。
pins plus
IEZZA
Mask hook
小ロットから作れるアセテート製ピンバッジ。
鯖江の職人が、技術をいかして作った腕時計。
髪留めとしても使えるマスクフック。
「イメージをアセテートで表現します。」
プラスジャックは、「助ける」をテーマに活動しています。
それは、ひとりの女の子を助けたことからはじまり、今では世界三大産地の一つにまで成長した鯖江の眼鏡産業が始まった歴史の中にあり、その想いを次の世代につなぐためです。
はじまりは1905年、鯖江にはまだ電気も車もない時代、冬の農閑期に出来る仕事として増永五左衛門が持ち込んだものといわれています。
彼はメガネ作りをスタートさせるために仲間の宮大工の説得に伺ったところ、宮大工の家に学校に行っていない10歳の娘がいることに気が付きます。その子は、学校に行っても文字の書き写しが出来ずにいじめられていました。
そんな彼女の動作・しぐさを見ていた、増永五左衛門の弟は、もしかしてこの子は目が悪いんじゃないだろうか、と思いました。そこで、その子に眼鏡をかけさせてあげると、彼女は涙を流してこう言ったのです。
「お父さんとお母さんの顔が見える。」
その子は頭が悪いのではなく、ただ生まれつき目が悪いだけだったのです。
このことに感銘を受けた宮大工は
「わかりました、やりましょう。」
とここから鯖江の眼鏡産業は始まりました。
眼鏡は体の一部になるのもなので、もっといいものを作るこの精神で鯖江の眼鏡産業は世界三大産地にまで成長しました。
この思いを後世に伝えることが、私たちの使命です。
プラスジャックの製品には、綿花を主体とした植物性樹脂のセルロースアセテートを使用しており、これまで培ったアセテート材に関する加工の技術を活かし、 160 以上の工程を社内で一貫して製造をおこなっています。
めがねだけでなく、工場の技術を生かしたオリジナル製品の企画、開発、製造、販売にも挑戦しています。
培った眼鏡製造のノウハウを活かし、お客様が求めるものや、課題解決など
「わくわく」をもって社会に貢献していきます。
樹を纏う。
「こんにちは、63mokkoです」
ロクサンモッコーと読みます。 63は自分の名前の語呂合わせです。 木を用いて自分が欲しいモノや使いたいモノを制作したことが活動の始まりです。
日本は世界でも有数の、多様な木が存在する国です。 古来より日本人は木とともに生き、そのアイデンティティは木と密接に結びついてきました。 建築材や日用品に使われてきた木ですが、63mokkoはその可能性を更に「身につけるもの」に広げていきます。
高度な木工技術で知られる飛騨高山で、63mokkoは技術を学びました。その経験を元にお客さま一人ひとりに合った眼鏡を制作しています。個々の木の魅力~樹種ごとに異なる肌さわり、その木が持つ特性、時間と共に変わる色調~を最大限に活かして、 既成概念にとらわれない様々な手法で、懐かしくも革新的な「身につける木のもの」を提案いたします。
自分の生きかたを大切にするひとに。
あなただけの、木の謹製眼鏡です。
63mokko(ロクサンモッコー)は、木の可能性を「身につけるもの」へと広げていきます。
飛騨高山の高度な木工技術を学んだ、神田武蔵さんが生み出す、お客様一人ひとりにあった木の謹製めがね。個々の木の魅力を最大限に活かし、様々な手法で「身につける木のもの」を自分の生き方を大切にするひとへと提案しています。
木製めがねの良いところは軽くて疲れにくく、肌触りが良いところです。敏感肌の方からは、汗をかいても肌荒れがしにくいと評判があります。
63mokko のめがねはオーダーメイドで制作されます。
刻印の名入れやサイズをオーダーすること、お好みのレンズを入れることも可能です。
めがねを末長く使用してもらえるよう、ご購入後は無料でメンテナンスも行っています。
Glasses
Wood Fit Regulato
The Bamboo
Jazz
テンプルの長さや、開き具合を自分で調整できます。
厳選された竹を使用し、
形にもこだわった一品。
木の板と紙の組み合わせが生み出すラインのハーモニー。
With Paper
Corbu
Wear wood lightly
玉型に入った紙のライン。北欧家具を連想したデザイン。
建築家の鈴木敏彦が主宰する、「ATELIER OPA」とのコラボレーション。
自分の持っているめがねの一部を、木に変えることもできます。
13世紀後半にイタリアで発明されたメガネは、300年程経った1549年、キリスト教宣教師、フランシスコ・ザビエルが、周防(山口県)の大名、大内義隆にメガネを贈ったのが最初といわれています。
数年後、同じく宣教師のフランシスコ・ガブラルが織田信長と対面した際、彼が近視用のメガネをかけていたので、信長はじめ一同がたいへん驚いたという記録が残っています。
のちに江戸幕府を開いた徳川家康も実はメガネを使っていたとされています。
写真は家康が実際に使用していたと言われているメガネで、透明度の高いべっ甲を使ったフレームがおしゃれです。今でいう“つる”のない手持ちタイプの鼻眼鏡で「目器(めき)」と呼ばれていたそうです。一説にスペイン使節から家康公への献上品だったといわれ、日本で2番目に古い眼鏡とされています。
江戸時代(1600年代)になると、水晶玉の職人がメガネのレンズを作り始めました。しかしかなり値段は高く、主に裕福な家庭の人や職人などに使用されていました。日本でメガネが安く作れるようになったのは1800年代の後半。政府の命で渡欧し、メガネづくりを勉強した朝倉松五郎という人物が、明治6年に新しい機械を持ち帰ったのがきっかけでした。
そのきっかけが今日のメガネ産業の隆盛につながり、鯖江をはじめとするさまざまな企業が切磋琢磨し培った技術で作られる日本のメガネは、品質面で世界の トップクラスとされています。
画像引用元:オプティックコイズミ
画像引用元:株式会社朝倉メガネ